運転免許取得のきっかけ
私が運転免許を取得したのは、母が亡くなった1年後の1995年(平成7年)のこと。阪神淡路大震災が発生した年で、私は既に30代に突入してました。
きっかけは、母の病気。
運転免許を持っていなかった母は、ずっと私に「運転免許を取れ、教習所に行け」と言ってましたが、私自身は必要性を感じなかったので無視してました。
しかし、乳がんで倒れた母の入院生活を支える際、車が運転できればどれだけ便利だったろうと、免許を取得していなかったことを後悔したのです。
仕事帰りや休日に教習所に通いましたが、仮免の検定に2回落ちるし、路上教習中に歩行者に接触しそうになるし、高速道路教習で怖くてスピードが出せずに教官に叱られるし、なんやかんやで免許取得まで半年近くかかってしまったことは、ナイショです。
免許取得後、車の購入を検討したのですが、維持費がかさむので諦め、原付バイクを購入。
乗りこなせるようになると楽しくなり、あちこち走り回ったものです。維持費は安いし、小回りがきくので、とても便利。
電車やバスを乗り継いで行くより時短だし、交通費も抑えられるので、病院、役所、老人ホームと、父の介護時にも、私の足になってくれました。
免許取得して良かったなあと、実感。
バイクに引きずられる。
バイクを購入した直後、人通りの少ない場所で、のろのろとしたスピードで、運転の練習を重ねていた時のことです。
ある日、バイクから降りて、押して移動させようとした時、誤ってアクセルレバーを軽く回してしまった。
「しまった、手を離さなきゃ」と頭では思っているのですが、 手がアクセルレバーに貼り付いているような感覚に陥り、離せない。ブレーキも掛けられない。
バイクはゆるゆると自走し、私は引きずられ、2~3メートル先にあった公園の柵にぶつかって、ようやく止まりました。
ほんの数十秒のことでしたが、本当に怖かった。その出来事からしばらくは、練習ができなかった。
車体に少し傷が付き、ミラーがゆがみましたが、私も他人も柵も、何事もなく済みました。
しかし、なぜ、手が動かなかったのか。
もう20年以上も前の出来事ですが、今でもバイクに乗るたび頭をかすめます。
私の反射神経の鈍さや、とっさの時の判断力の低さが、原因のひとつでしょう。
でも、人間って、思いがけない危機に突然直面した時、体が思い通りに動かなくなったり、普段はできていることでもできなくなったりするもので、私もそれにはまってしまったのが最大の原因だろうと、今は思っています。
年齢は関係ない。
近年、高齢ドライバーによる不幸な事故が相次いで発生し、ニュースでも大きく取り上げられています。
高齢になると、反射神経とか判断力は確実に落ちます。だからこそ、車の運転はなるべく控えて欲しいし、運転免許の自主返納も検討すべきです。
運転免許取得を許される年齢が決まっているなら、保持できる年齢の上限を設けることも可能だと思うので、法律を改正した方がよいのかもしれない。
でもそれより大事なことは、免許を取得した瞬間から、運転者は「自分が事故を起こさないという確証はない」と自覚して運転することだと思うのです。
そこに、若者とか高齢者とか、年齢は関係ありません。
アクセルとブレーキの踏み間違いや逆走なんて、自分は絶対しない、するわけない、する人がおかしいって言い切る人の方が、私は危険だと思う。
危機は突然やってきます。30代の頃の私がバイクに引きずられたように、体が思い通りに動かなくなるというのは、ごくごく普通のこと。人ごとじゃないんです。
自動運転技術がさらに進むと、不幸な事故は減るかもしれません。
しかし、いくら技術が進もうと、ひとつ間違えれば、車やバイクが簡単に命を奪う凶器になることに、変わりはないでしょう。
高齢者ドライバーの事故を、人ごとと思わないことが、何より大切だと思います。