介護エッセイを出版しました。
2004年から2009年まで更新していたブログ「今週のすぎやん」の内容を抜粋・修正し、ブログには書ききれなかった作者の思いや後日談なども新たに書き下ろしたエッセイ。

高齢者ドライバーの事故について思うこと。

高齢ドライバー ひとりごと
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運転免許取得のきっかけ

私が運転免許を取得したのは、母が亡くなった1年後の1995年(平成7年)のこと。阪神淡路大震災が発生した年で、私は既に30代に突入してました。
きっかけは、母の病気。

運転免許を持っていなかった母は、ずっと私に「運転免許を取れ、教習所に行け」と言ってましたが、私自身は必要性を感じなかったので無視してました。
しかし、乳がんで倒れた母の入院生活を支える際、車が運転できればどれだけ便利だったろうと、免許を取得していなかったことを後悔したのです。

仕事帰りや休日に教習所に通いましたが、仮免の検定に2回落ちるし、路上教習中に歩行者に接触しそうになるし、高速道路教習で怖くてスピードが出せずに教官に叱られるし、なんやかんやで免許取得まで半年近くかかってしまったことは、ナイショです。

免許取得後、車の購入を検討したのですが、維持費がかさむので諦め、原付バイクを購入。
乗りこなせるようになると楽しくなり、あちこち走り回ったものです。維持費は安いし、小回りがきくので、とても便利。
電車やバスを乗り継いで行くより時短だし、交通費も抑えられるので、病院、役所、老人ホームと、父の介護時にも、私の足になってくれました。

免許取得して良かったなあと、実感。

バイクに引きずられる。

バイクを購入した直後、人通りの少ない場所で、のろのろとしたスピードで、運転の練習を重ねていた時のことです。
ある日、バイクから降りて、押して移動させようとした時、誤ってアクセルレバーを軽く回してしまった。

「しまった、手を離さなきゃ」と頭では思っているのですが、 手がアクセルレバーに貼り付いているような感覚に陥り、離せない。ブレーキも掛けられない。

バイクはゆるゆると自走し、私は引きずられ、2~3メートル先にあった公園の柵にぶつかって、ようやく止まりました。
ほんの数十秒のことでしたが、本当に怖かった。その出来事からしばらくは、練習ができなかった。

車体に少し傷が付き、ミラーがゆがみましたが、私も他人も柵も、何事もなく済みました。
しかし、なぜ、手が動かなかったのか。
もう20年以上も前の出来事ですが、今でもバイクに乗るたび頭をかすめます。

私の反射神経の鈍さや、とっさの時の判断力の低さが、原因のひとつでしょう。
でも、人間って、思いがけない危機に突然直面した時、体が思い通りに動かなくなったり、普段はできていることでもできなくなったりするもので、私もそれにはまってしまったのが最大の原因だろうと、今は思っています。

年齢は関係ない。

近年、高齢ドライバーによる不幸な事故が相次いで発生し、ニュースでも大きく取り上げられています。

高齢になると、反射神経とか判断力は確実に落ちます。だからこそ、車の運転はなるべく控えて欲しいし、運転免許の自主返納も検討すべきです。
運転免許取得を許される年齢が決まっているなら、保持できる年齢の上限を設けることも可能だと思うので、法律を改正した方がよいのかもしれない。

でもそれより大事なことは、免許を取得した瞬間から、運転者は「自分が事故を起こさないという確証はない」と自覚して運転することだと思うのです。
そこに、若者とか高齢者とか、年齢は関係ありません。

アクセルとブレーキの踏み間違いや逆走なんて、自分は絶対しない、するわけない、する人がおかしいって言い切る人の方が、私は危険だと思う。

危機は突然やってきます。30代の頃の私がバイクに引きずられたように、体が思い通りに動かなくなるというのは、ごくごく普通のこと。人ごとじゃないんです。

自動運転技術がさらに進むと、不幸な事故は減るかもしれません。
しかし、いくら技術が進もうと、ひとつ間違えれば、車やバイクが簡単に命を奪う凶器になることに、変わりはないでしょう。

高齢者ドライバーの事故を、人ごとと思わないことが、何より大切だと思います。

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