介護エッセイを出版しました。
2004年から2009年まで更新していたブログ「今週のすぎやん」の内容を抜粋・修正し、ブログには書ききれなかった作者の思いや後日談なども新たに書き下ろしたエッセイ。

手間のかかる父。

さるぼぼ 介護経験談
父が生前、老人ホームのご近所の方から頂いた、さるぼぼ。
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かつて父が入所していた介護付き老人ホームでは、老人ホームの運営者と、入居者さんやその家族さんが集い、複数のテーブルに分かれて意見や要望などを話し合う「運営懇談会」が、定期的に開催されていました。

何回目かの参加時、私と同じテーブルに付いたのは、老人ホーム開設当時からの入居者さんの家族さん3人と、施設長さん。家族参加者全員が、普段からよくホームに足を運んでいるメンバーで顔なじみのため、ざっくばらんな意見交換が行われました。

その中で「なるほどなあ」と思ったのが、「介護度が高いほど手間がかかるということで保険料は高いけれど、実務で本当に手間がかかるのは、要介護2~3くらいの人だ」という意見。
入居者さんの中には、要介護4や5の方もたくさんおられましたが、特に5の方などは、ほとんど寝たきりなので、定期的な作業以外にすることはないというのが、その理由でした。

当時、父は要介護2。片麻痺で車椅子での生活でしたが、自力で何でもしようとする意欲が高い人でした。
しかし、ひとりで散歩に出かける、認知症の入所者さんに怒鳴る、しゃべりだすと止まらないので、話しかけられたスタッフの仕事が滞るなど、スタッフの日常業務に支障が出るような行動をしがちでした。
比較的低い介護度でしたが、父は本当に手間がかかる人でした。

「介護度が高ければ高いほど、手間がかかる」とは、必ずしも言い切れない。
目からウロコが落ちたと同時に、強く同意できる意見でした。
その辺りの感覚は、現場を知らない国や自治体の担当者には伝わらないんだろうなあ。

しかし、父がどんなに手間がかかる人でも、ホーム側と私、それぞれの立場で、父と向き合っていかなければなりません。

家族にできることと、老人ホームにできることは違う。
父の日々の生活は、ホームのスタッフたちが支えてくれているし、父の普段の様子は、私よりもよくご存じだ。
それならば家族として、私は父とどう接していけばよいのだろう。私がすべきこと、できることは、何だろう。父にとっても私にとっても塩梅よく生きられる方法は何だろう。

母亡き後、父とふたりで過ごしたのは15年間。そして、父が亡くなって、今年で15年。
悩みながら父と向かい合い、時に喧嘩し、時になだめすかしていた頃のことを、いまだによく思い出します。

あれでよかったのか、こうした方がよかったのでは、という詮無い思いは、たぶん一生消えないのでしょうね。

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